1/20・・・過ぎちゃったけど。

3年前のはなし。

おばあちゃんのお葬式でした。

認知が進んだおじいちゃんは、おばあちゃんの亡くなった事を、受け止めずにいられました。

2人で1人の夫婦にとっては、自分の命と同じ。
いくら毎日言い合いをして、喧嘩をして、顔もみたくない。とか言っちゃっていても、
実際、いなくなるということは、一度自分も死ぬくらいの寂しさが訪れる。
おじいちゃんは、ボケているおかげで、ずっと、おばあちゃんが亡くなった事の悲しさを受け止めないで、普通の日々でいられました。
しかし、そうじゃない瞬間がありました。
おばあちゃんの体を棺桶に入れた時にだけ、もぐもぐお菓子を食べていたおじいちゃんが、突然、ストップしてそしてから、首がだらんと下に落ち、うなだれてしまいました。
おじいちゃんが、おばあちゃんが亡くなった事を知った瞬間でした。
おじいちゃんの異変に、私たち家族が気が付いてしまってからは、涙も止まらなくなって、倍に悲しくなりました。
おじいちゃんは、一時、そのまま動かなくなり、頑なにお菓子も拒否。現実を知った瞬間でした。
そして、少し時間が経つと、またその悲しみから解放されて、忘れて、元に戻ったのです。
年を取ってからボケていくというのは、道理にかなった自然の現象で、良い事もあると思いました。周囲も本人も救われます。今でもそう思います。
そんなお葬式の日の一部。写真。
まだおしゃべり出来ない3歳のさくらとおじいちゃんの無言の会話。
さくらが時間をかけてみかんを剥き、それをおじいちゃんに渡しました。おじいちゃんは、みかんを半分に割って、さくらにまた渡す。
おじいちゃんがみかんの甘皮を剥くと、さくらがそれを真似しながら剥いている所。

時は流れ、
おじいちゃんは、昨年の3月にこの世を去りました。
そして、さくらには妹が出来ました。
うつりゆく流れが、じわりと心に染みわたります。
そして、もっと先を考えると、100年後には、今の人類は、みんな居ないのだということ。それは確実な未来。
やっぱり、争いなんかしてる暇ないし、人類がレベルアップした世界をみたいと思ってしまう。
この写真をみると本当につくづくと思う。世代の考え方の違いとか、国の考え方の違いとか、男女の考え方の違いとか、ほんと、関係ないし、どーでもいい。

本能で生きている、純粋な2人のやりとりの写真に、
いろいろなメッセージの意味を感じてしまいます。
ひとつのみかんを分け合ってただ一緒に食べている。


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2014年1月20日の写真 http://natsukonoz.exblog.jp/21513494/
勝手なただのつぶやきでした。

今年は日本各地氷点下の所が多くなった。目の前の不満を言っていられるのは今だけかも?これも幸せ。と思う時がくるのかな。
これからだ。人類がんばらねば。

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by natnoz_39 | 2017-01-23 11:19 | 日記

☆新着情報☆次回は10月24日(火)東京下北沢”ブロシェットボンボンシン”という焼き鳥バーでBGMアコーディオン演奏をします。20:30~ふらりと立ち寄れます♫


by natnoz_39